昭和41年 |
早稲田大学を卒業 中国放送にアナウンサーとして入社。
大学の放送研究会時代よりの天才的なおしゃべりで、たちまち野球実況、DJ,テレビ司会などで頭角を表し、西日本でトップアナウンサーの地位を確保。 |
昭和50年 |
民間放送連盟が主催した「第一回飛び出せ 全国DJ諸君」で抜群の人気でグランプリを獲得。全国の22局代表DJのトップの座へ・・・。
これをきっかけにフリーとして独立。オールナイト日本のパーソナリティをはじめ、「クイズ ドレミファドン」の司会、「お笑いマンガ道場」など数多くの番組を担当。
明るく楽しくテンポのあるしゃべり、2枚目半の性格と、嫌みなく出てくる本音、そして次から次へと飛び出すリズミカルなおしゃべりはヤングから主婦層、おじいちゃん、おばあちゃんに至るまでファンの心をとらえてはなさない。 |
平成5年 |
4月より地元ふるさと広島でスタートした、「柏村武昭のテレビ宣言」は、スタートからあっという間に全国ローカルワイドナンバー1の視聴率(20%平均)、占拠率(最高54%)を記録。共感をテーマにしたそのジャーナリストとしての才能も注目を集めた。この番組は夕方の顔として、全国の業界にも話題を呼び、他局からの見学チームは30数社を越え、それまで不振をかこっていた広島テレビの起死回生の救世主的な番組ともなった。
広島テレビの「柏村武昭のテレビ宣言」は8年間2,000回を越え、その高視聴率は他の地方局にとっても大きな光明となり、全国地方局夕方のワイドショーブームの火付け役ともなった。そして、平成13年3月をもって自主降板。 |
平成13年 |
7月、参議院議員選挙に無所属で広島選挙区より立候補、小泉ブームの真只中にも拘らず全国で一番早く当確決定。その後、自民党に入党し6年の間に防衛庁政務官、外交防衛委員長等を歴任。 |
平成19年 |
4月、参議院議員を辞職。広島市長選挙に挑戦するも惜敗。現在は年中夢求をモットーに講演、執筆活動中。
テレビキャスター柏村武昭に国会議員としての6年間の経験が加わりこれから司会やコメンテーター等、ジャーナリストとしての真価が問われている。
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